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呉昌碩(ご しょうせき)

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呉昌碩は、清王朝300年の終わりから近代にかけて華々しく活躍した巨匠。生涯にわたって石鼓文(せっこぶん)の研究に励み、篆刻を書や画に応用した独特の刻風をつくりあげた人物です。

詩・書・画・篆刻ともに精通し、並外れた才能を発揮した呉昌碩は「四絶」と称賛されました。中国近代でも優れた芸術家といわれています。呉昌碩は多くの日本人と交流を持っており、日本にも多くの作品が残されています。

「四絶」呉昌碩の生い立ち

呉昌碩は清朝末期、浙江省安吉県に生まれました。17歳の時、太平天国の乱に巻き込まれて弟と妹を亡くし、自身も辛い避難生活を強いられます。

22歳の時に科挙(かきょ)を受けて官僚になりますが、出世を望みませんでした。かわりに印学の研究にますます力を入れ、さらに書画の才能を開花させました。

日清戦争が始まった1894年には、安東県の知事に就任しますが、わずか1ヶ月で辞職。
その後、任伯年から本格的に画を学ぶようになります。この頃から、呉昌碩の画名が上海の富裕層を中心に広がっていきました。それに伴い、やがて書や篆刻も高値で取引されるようになります。

1903年には、葉銘、丁仁・王禔・呉隠らと共に、篆刻を中心とする学術団体「西泠印社」を創立。初代社長の座につきます。西泠印社を通して、文化作品の収集・保存、出版も手掛け、中国の文化芸術の価値を引き上げるのに大きく貢献した人物であり、また84歳で没するまで創作に身を投じました。

代表作

  • 臨石鼓文軸(りんせっこぶんじく):清時代・宣統2年(1910年)
  • 石鼓文とは戦国時代の秦でつくられた石碑の古代文字です。呉昌碩は石鼓文の研究を行っており、手掛けた臨書は評判が高く、日本にも数多くの臨書が現存しています。

  • 桃実図(とうじつず):清時代・光緒33年(1907年)
  • 「桃実図」は、呉昌碩が64歳のときに描いた作品です。60代になる前には、淡い紅色を使った画を多く残しています。

  • 缶廬印存(ふろいんそん):中華民国4年(1915年)
  • 呉昌碩は、自らの篆刻の集大成「缶廬印存(ふろいんそん)」を出版しました。缶廬印存には、30~70代にかけて制作した印が収録されています。

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