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人気の中国陶磁をピックアップ

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世界の陶磁界をけん引してきた中国陶磁。技法によってもたらされる美しさや多様性に、いまも多くの人が魅了され続けています。そのルーツははるか昔、新石器時代に始まったといわれています。もともとは器としての役割がありましたが、技術が発達してくるにつれ、人物や枕など、より嗜好性がでてきた陶磁器も作られていきました。ここでは、さまざまな国の陶磁工芸に影響を与えた中国美術の陶磁器を紹介していきます。

中国陶磁器のはじまり

ここからは陶磁器の種類について紹介していくことになりますが、陶磁器とは陶器と磁器の総称。あるところが違うのです。まずは陶器と磁器の違いを紹介して行きます。

陶器

陶器とは、少量のガラス質が含まれている陶土から、作られた器になります。約800℃から1200℃の低温で、焼成して完成させていきます。中国ではいわゆる土器を指す言葉になります。

磁器

磁器とは、ガラス質が多めに含まれている磁土から作られた器になります。約1300℃の高温で焼成して完成させます。ガラスを多く含んでいることから、透光性があり叩いてみると金属のような甲高い音がします。

五彩

日本の色絵磁器の基となった陶器です。

高温加熱で作られる、焼成という技法を使い焼き上げられ、釉薬で配色されたシンプルな白磁に上絵の具を使い、様々な配色の模様を描いていきます。

その後、その文様が描かれた器を低温で2度焼きするのが特徴の、中国陶磁器の装飾方法になります。別名・古赤絵、釉上彩、色絵とも呼ばれています。

五彩と呼ぶと、5色で構成して模様を描いているものと勘違いしてしまいますが、鮮やかな色合いを表現した言葉なので、5色でなければいけないということはありません。

その始まりは元時代といわれており、明時代に景徳鎮窯が窯業の中心になってくると、青花と共に絵画的な加飾が施された五彩の器が盛んに生産されてきます。明末からは輸出向けの磁器が大量に生産され、オランダやポルトガル、日本などに運ばれてきました。特に上絵顔料で文様を描き焼成したあとに金箔を張り付けた金彩は金襴手と呼ばれ、重宝されています。

唐三彩

奈良三彩のルーツとされるのが唐三彩。非常に豪華な見た目で、主な目的は王侯貴族の墓に埋葬するために作られたとされており、馬や人物、器など、様々な形が出土しています。唐代に作られた陶器の釉薬の色は非常に多く、そのなかでも主な組み合わせが三色であることから三彩と呼ばれています。もっとも古い唐三彩の作例は674年で、現在の陝西省にある陪塚から発見されたようです。

中国陶磁器の中ではポピュラーなものですが発見されたのは約1世紀前ということで、比較的最近発見された陶磁器と言えるでしょう。有名な陶磁器なのにも関わらず、なぜそのようなことになったかというと、葬送時に、行列になった人々が唐三彩で作られた馬や人の器を持ちこんで埋葬する時に一緒に埋めてあげるという風習があったため、実用的なものが少なく、有名になる機会を与えられなかったという点があります。そんな実用的の少なさから一時、衰退していくことになりますがイスラム世界への輸出用陶器となり後に、イスラム多彩釉陶器にもその技術が取り込まれていると言われています。

古染付

明代末期に五彩の発展に大きく貢献した官窯の勢いが衰退したところに民窯で作られた、日本向けの染付磁器です。実は過去に日本人が中国から、ただ輸入して使用していたものとされていましたが、古染付をよく見てみると中国人は好まないが、日本が好んで使用している文様の崩れが特徴的で、中国では使われているはずのない文様も見られました。

このことによりこの古染付は、中国人が日本人の好みに合わせて生産し、輸出していたということが判明しました。この古染付の登場により、民窯は勢いをつけます。

古染付の大きな特徴は口縁の釉薬の剥がれ落ちですが、大きな理由は新しい陶土を採用し始めたことに起因していると言われています。肥前磁器の起源とされており、古伊万里を語る上では外せないものと言えるでしょう。また、古染付の魅力でもある「虫食い」についても紹介しています。

虫食いとは?

従来は綺麗な文様こそ良い器という考えがなされていましたが、民窯が独特な文様を付けたのがこの「虫食い」というものです。

虫食いといっても器が虫に食べられているということではなく、文様が虫に食われているかのようになっていることから、この名前がつけられました。これは焼成時に器に振りかけられている釉薬との間に気泡が生じて、その気泡が焼成後、器を冷ましている時に弾けてしまうことから、この文樣になります。

これは従来ならば失敗とされていましたが、これを見た茶人たちが「味があって良い文樣だ」と評価をしたことから、一般的に受け入れられるようになりました。

青花

青花磁器は中国の陶磁器のなかでも貴重な伝統芸術といえます。元代に始まった手法で、西方ペルシャから輸入されたコバルト顔料を使って、濃厚な青で複雑な文様を表しています。その複雑な文様を素地に直接書き込み、透明釉を振りかけて高温で焼成させて作られています。青花という名前の意味はコバルトで文様を描くと、焼成した時に青く発色してくれます。この特徴を表現したということになります。時代に合わせてそのスタイルを変えていることも特徴で、常に進化してきました。

インドネシアの沈没船から発見された染付小皿もあり、唐時代後期の9世紀ごろから流通していたのではないかとみられています。先ほど紹介した古染付も青花の仲間で、日本では有田焼に好んで使われています。

耀州窯

透明で草色がちの釉薬がかかった、櫛目模様が独特の青磁です。

現在では耀州窯という呼称が定着していますが、それ以前は北方青磁と呼ばれていました。日本ではこの呼称が一般的になるまでは、青磁窯址を原田玄訥師が臨汝県で発見をしたことから、北方青磁は汝窯呼ばれるようになりました。その後、後耀州窯の窯址が見つかり、この窯の方が北方青磁の生産窯であることが発覚。結局、この発覚以前に北方青磁と呼んでいたものは、臨汝窯で生産されたものということになります。有名な耀州青磁の骨とう品は数十万~数百万円で取引されるほどだと言いますが、現代ものはほとんど流通していません。

そのことから今も積極的に発掘調査が行われています。贋作も出回っていますが、本物の耀州窯はうすいオリーブグリーンで作られ、青磁の色や紋様で見分けるのが一般的のようです。

磁州窯

磁州窯とは河北省南部の磁県で生産された系統の陶器のことを指します。磁州窯の特徴は、灰色で陶質の胎土に白化粧を施し、透明釉をかけたものを基本としています。

また北宋時代に入ると灰色の胎土を逆に生かし、土の一部をヘラで削って紋様を施す掻落(かきおとし)という技法が行なわれるようになりました。

更に白化粧した器に、黒泥をかけて掻き落としを行うと、白黒文様になった白黒落としの器は、人気の高い品物になります。磁州窯特有の器種としては陶製の枕があり、多くのものに牡丹唐草文があしらわれています。

高麗青磁

高麗時代に生産されるようになった独特な様式の陶磁器を高麗青磁といいます。光沢のある、青緑色の深い釉色をした高齢青磁は高額で取引され、その際立った例として花柄模様のある小さな陶製の水差しが300万ドル(日本円で約3億3千万円)前後と評価されたそうです。中国や韓国でも青磁を取り立てて賞賛するほど特別視されていました。

越州窯青磁を元にして様々窯の技法から影響を受けた後に、その独特の形と色を生み出されました。日本ではこれに鉄絵具で文様を描き、青磁釉を振りかけて焼成した青磁鉄絵が作られ、それは絵高麗という名称になっています。

粉彩

西洋の七宝焼きの技術と、東洋の技術が織り交ざった上絵付技法、粉彩。焼成した磁器に、水溶性の絵の具と油性の絵の具を併用しながら使って色を付けていく技法で、この技法の登場により、今まで五彩では表現しきれなかった多彩な色使いと油絵に似た質感が表現されるようになったのが特徴です。

しかし水溶性と油性では分離してしまうため、水溶性を使ったら一旦焼成し、再び油性を使ったら焼成するという工程になってしまうので、非常に手間と時間、技術力が必要な技法になります。清・康熙帝の時代1662~1722年に始まったとされ、日本はその時期に丁度、鎖国の真っ最中だったためこの技法が伝来してこず、それを証明するかのように粉彩で作られた器は存在しません。やっと日本に伝わった江戸時代末期には、伊万里(いまり)焼や砥部(とべ)焼にも影響を与えたと言われています。

越州窯

越州窯とは、浙江州の磁窯で生産されているものを指し、越州窯は、1000年以上の歴史を誇り、東洋最古の青磁とされています。その始まりは春秋戦国時代。「越国」と呼ばれる地域で誕生しました。長い歴史のなかで低迷期もありましたが、五代時代には再び作品が作られるようになったそうです。緑がかった灰褐色が特徴で、当時の文筆家や詩人が「お茶を味わうのに最高の器」「山々の緑のような美しさ」と絶賛しています。この越州窯に似せて作られたものは、越州窯系と呼ばれるほど陶磁器の発展にも貢献しています。日本では紫式部の源氏物語にも登場し、越州窯は国外でも人気の品だったとされています。

汝窯

北宋時代末期に宮廷に献上するために作られていたとされる汝窯。当初は、どこで製造されたかも不明でしたが、1986年に河南省の清涼寺窯の発掘調査を行った時に汝窯が見つかり、この場所で製造していたことが分かりました。製造地域が見つかったのは比較的最近、と言えるでしょう。

薄い水色で彫り模様がなく、瑪瑙(メノウ)の粉末が混ぜられた釉をまんべんなくかけられていることが特徴です。生産期間わずか20年、現存する作品も70点あまりと希少な器のため、明らかにされていない部分も多いそうで、まだまだ未確定な部分が多いのも事実です。さまざまな陶磁器が生み出された時代に、「中国陶磁の最高峰」と呼ばれ高い評価を受けたともいわれる青磁です。

麻雀牌

その起源は中国清の時代だと言われており、今や日本でも娯楽の一つとして愛されている麻雀。元は「馬吊」というゲームと「骨牌」という別のゲームを一緒にしたものが、始まりだと言われています。その麻雀に必要不可欠な用具としてあるのが、この麻雀牌です。

現在、家庭や雀荘で使われている麻雀牌は合成樹脂などのものが多く、そちらの方が一般的なため、元は陶磁器で作られていたこと自体が意外にも知られていないのかもしれません。

麻雀牌には様々な種類があり、尿素樹脂とも言われているユリア樹脂やカゼイン樹脂、中には像の牙などもありますが、なかでも発祥当時に作られた中国製のものはとても希少で価値が高く、買取市場でも高い人気があると言われています。

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